2011年 04月 04日
岡本太郎先生・・生誕100年! |
1945年(昭和45年)大阪万博開催、私は中学3年生。
旧ソ連館、アメリカ館が人気ナンバーワン・行列も何時間とまたされ見学に行った記憶がある。
戦後復興、東京五輪、万博開催・・・・
日本もこの万博開催に心血を注いでいた事が今になって思い出される。
そのシンボルとも言える「太陽の塔」
現在、過去、未来・・・・・岡本太郎先生がデザインされ、
過去の顔が信楽焼のタイルで表現された。
その当時、黒っぽくて何で信楽は未来の顔にと思ったものである。
しかし、先生は信楽に何度も足を運ばれ完成時には近江化学の屋上から
過去の顔を世紀の一作とまで語られ、マスコミにも大きく報道された事を思い出す。
信楽は生活雑貨・・火鉢、植木鉢、たぬき・・・・などがよく知られているが建築タイルが生産額の半数以上を占める。また、駅やホテルの壁面アートも・・・
あれやこれやも・・・アートの分野は
やはり信楽をこよなく愛した世界的デザイナー岡本太郎先生がいたからこそ、信楽在住のアーティスト達も大きな刺激を受け、活躍ができたんではないだろうか?
当館にも何度となくお越しいただき、子供心にいろんな想い出がある。
仕事から小川亭に帰ってきて、一緒にお風呂に入ったり、食事をしたり・・・・・
亡くなられる前には、この人ありて岡本太郎ありとまで言われている敏子さんと来られ、信楽が懐かしいと言われていた。
今年、岡本太郎先生の生誕100年・・・
甲賀の地、信楽から何か発信することはできないものだろうか?
旧ソ連館、アメリカ館が人気ナンバーワン・行列も何時間とまたされ見学に行った記憶がある。
戦後復興、東京五輪、万博開催・・・・
日本もこの万博開催に心血を注いでいた事が今になって思い出される。
そのシンボルとも言える「太陽の塔」
現在、過去、未来・・・・・岡本太郎先生がデザインされ、
過去の顔が信楽焼のタイルで表現された。
その当時、黒っぽくて何で信楽は未来の顔にと思ったものである。
しかし、先生は信楽に何度も足を運ばれ完成時には近江化学の屋上から
過去の顔を世紀の一作とまで語られ、マスコミにも大きく報道された事を思い出す。
信楽は生活雑貨・・火鉢、植木鉢、たぬき・・・・などがよく知られているが建築タイルが生産額の半数以上を占める。また、駅やホテルの壁面アートも・・・
あれやこれやも・・・アートの分野は
やはり信楽をこよなく愛した世界的デザイナー岡本太郎先生がいたからこそ、信楽在住のアーティスト達も大きな刺激を受け、活躍ができたんではないだろうか?
当館にも何度となくお越しいただき、子供心にいろんな想い出がある。
仕事から小川亭に帰ってきて、一緒にお風呂に入ったり、食事をしたり・・・・・
亡くなられる前には、この人ありて岡本太郎ありとまで言われている敏子さんと来られ、信楽が懐かしいと言われていた。
今年、岡本太郎先生の生誕100年・・・
甲賀の地、信楽から何か発信することはできないものだろうか?
by ogawatei
| 2011-04-04 16:59
| 日記